教室案内

教室の歴史

和歌山県の外科史と和歌山県立医科大学

紀州和歌山には古くから藩校としての医学校があり、良医を育成してきた歴史があります。第10代紀州藩藩主の徳川治宝公は学問を奨励し、なかでも医学を藩学の中枢に置いて1792年に藩立の医学館を創設し、地域医療の充実を図りました。華岡青州(世界で最初に全身麻酔下に外科手術を行った和歌山県を代表する医師)や本居宣長も藩校医学館で講義を担当していました。そして医学館は、明治時代の和歌山医学校へと続いていき、和歌山県立医科大学の前身でもある和歌山県立医学専門学校の附属病院になった和歌山市立市民病院へと歴史が引き継がれていきます。和歌山県立医科大学の学章は、華岡青洲が全身麻酔に用いた曼陀羅華(まんだらげ)をモチーフとしており、医大敷地内には青州の医学理念である「活物究理」の顕彰碑が建っており、まさに、わが国のみならず、世界的な外科学の夜明けの精神を受け継いでいると言えます。本学の外科学教室の創設は、和歌山県立医学専門学校創立(初代学長は生化学の世界的権威であった古武彌四郎先生)の1945年で、初代外科学教授は、荒瀬進先生でした。その後、和歌山県立医科大学は、1947年6月に旧制大学として設立許可を受け、新制大学としてのスタートをきりました。その後、1956年に第1外科と第2外科の2講座制となり、同年8月1日付で中尾行保先生が消化器外科専門の第2外科教授に就任されます。今の外科学第2講座(通称:第2外科)が誕生しました。

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外科学第2講座の誕生

中尾 行保 先生(初代教授)

1956年(昭和31年)に第1外科と第2外科の2講座制となり、同年8月1日付で中尾行保先生が消化器外科専門の第2外科教授に就任され、今の外科学第2講座(通称:第2外科)がスタートしました。当時の教室の主たる研究テーマは膵臓外科で、膵障害時の消化酵素の変動、膵腸吻合の実験的研究、硬変膵の吻合実験、膵機能からみた十二指腸断端閉鎖法、膵管造影法など、今世紀でも十分通用する斬新な研究内容でした。

中尾 行保 先生(初代教授)

1956年8月~1969年12月

消化器外科教室としての始まり

勝見正治先生が第2外科の教授に就任後、大学改革の一環として、1970年11月に大講座制に移行し、外科学はひとつの講座となり、診療部門を脳神経・一般外科、胸部外科、消化器外科の三部門に分かち、消化器外科部門を勝見教授が担当され、外科学講座の主任教授(チェアマン)として外科学を統括されました。当時、消化器外科教室を標榜するところは当時では珍しく、胃・腸・肝胆膵・小児外科の診療ならびに研究グループの体制を整えられました。また、勝見教授が粉骨砕身された結果、県下の主要病院の多くが関連病院となり、教室は大学内でも最も多くの関連病院を有する教室へと発展しました。

勝見 正治 先生(第2代教授)

1970年7月~1987年3月

勝見 正治 先生(第2代教授)

教室を全国区へ

谷村 弘 先生(第3代教授)

谷村弘先生は、「研究における基本方針は、臨床を中心」をモットーに、胆石・胆汁酸に関する研究、抗菌薬の研究、脂肪乳剤や経腸栄養に関するもの、癌・免疫・遺伝子に関するものを研究テーマとして、70名以上の学位研究を指導されました。また、内視鏡外科治療にも積極的に取り組まれました。学会活動も積極的で、第46回日本化学療法学会総会、第35回日本外科代謝栄養学会を主催し、2000年12月には第13回日本内視鏡外科学会総会を担当されました。また、谷村弘先生は、和歌山医大の統合移転に向けた非常に重要な時期である1998年3月に附属病院長に就任され、本学開学以来50有余年の悲願であった医大統合移転を見事に陣頭指揮され、翌年5月8日の旧医大病院から新医大病院への患者搬送の完了、5月13日の新病院開院へと導かれました。谷村弘先生の任期中、大学の講座再編にて、教室は「消化器外科」教室から、外科学第2講座へと呼称が変更になりました。

谷村 弘 先生(第3代教授)

1987年7月~2001年3月

世界に冠たる消化器外科教室へ

谷村弘先生(名誉教授)の後任は、2001年6月、山上裕機先生(本学1981年卒)が第4代教授として教室を主宰することになりました。山上裕機先生は、教授就任講演の際、「臨床研究、特に外科手術のエビデンスを創生するランダム化比較試験を推進する。そして、その研究成果を一流英文誌に採用されるようなレベルの高い外科教室にする。基礎研究も推進し、中でも、免疫療法で創薬を目指し、世界に日の丸の旗を掲げる。大型研究費や多くの科学研究費を獲得できる教室にする。大学病院として、食道癌、直腸癌、肝胆膵外科などの高難度の手術数を増やし、手術成績を向上させる。内視鏡外科手術を推進する。関連病院が共同してデータベースを一元化し、地域医療を活性化する。」とご講演なさり、教室員が一丸となって現在に至ります。また、2006年には教室の「開講50周年記念式典」を開催し、その後、医学部長、そして、附属病院・病院長(2017年4月~現在)を歴任しました。また、2020年12月には、教室の悲願のひとつでもあった、「日本消化器外科学会総会」を和歌山市で開催いたしました。

山上 裕機 教授(第4代教授)

2001年6月~2022年3月

山上 裕機 教授(第4代教授)

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